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【社長エッセイ】
2012年夏・再びバイカル湖へ・シベリヤ横断鉄道完走記

 我が家の犬たちの散歩を近所の方にお願いすることが出来て、ようやく旅行が実現した。 目的はバイカル湖を訪れイルクーツからシベリヤ横断鉄道に乗りウラジオストクまで3泊4日の旅をして完走することだ。 2006年はノボシビルスクからイルクーツク、2008年にはモスクワからノボシビルスクまで乗ったので、 残りの部分の完走が懸案になっていた。2012年になりチャンスが訪れた。それは夏のシーズンにロシアのヤクーツ航空が、 バイカル湖の玄関口のイルクーツクまで成田から臨時便の運航を始めたからだ。 直行便が無ければウラジオストクやハバロフスクで1泊して乗り継がないとイルクーツクには行けない。 1日余分にかかることになる。

現地でも直行便が来るようになってから日本人の観光客が多くなったと言っていた。 イルクーツクはシベリヤのバイカル湖より東では歴史的に一番古く1686年に市制が認められたといわれている。

今は60万の人口である。ロシアと日本の交流史に出てくる大黒屋光太夫も滞在した。 デカブリストの乱で流刑になった貴族達の歴史もあるし、ロシア旅行に興味のある人にはバイカル湖観光と共にお勧めの場所だ。 市の中心に日本のODA援助で作られた「市民健診センター」があり大勢の市民で賑わっていて嬉しかった。 ここでトイレの場所を聞いたら中年の婦人がわざわざ探して案内してくれた。これも日本の援助への好意のしるしかと思った。

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ホテル「イルクーツク」

シベリアのお土産

7月18日の夜8時に成田を出発して、5時間で翌日の午前1時にイルクーツク空港に着いた。ガイドのオリガさんの出迎えを受け、 車でホテル「イルクーツク」へ。ホテルはアンガラ川の河岸の静かな場所にあり、清潔で安全上も何の問題もない。 朝9時からバイカル湖へ向かう。バイカル湖は8年ぶりだ。車が湖畔に差しかかると景色は一変して、多くのホテルや土産物屋が出来ていた。その数は確実に3倍になっている。

買い物の目的はオームリというサケ科の淡水魚の燻製の干物だ。祭り屋台のような土産物屋が50軒ほど並んでいて、 伝統的な白樺細工やマトリョーシカ・貴石細工などと一緒にオームリを売っている。

オームリは白身魚で、塩漬をサラダや燻製にして食べる美味しい魚だ。25 cmくらいになるまで10年はかかるという。 魚にうるさい日本人でも旨さは納得する。燻製にした塩味のきいた干物だ。ルーブルの持ち合わせが少なく5枚(1枚50ルーブル=125円)しか買えなかった。250ルーブルした。 イルクーツク市内に戻り両替をする。交換可能な外貨はドルとユーロのみで円は断られた。

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薬用きのこ「チャーガ」

薬用キノコ「チャーガ」について

その後、頼まれてきたチャーガを探した。チャーガとは白樺に寄生するサルノコシカケのようなものでガンに効くという。 漢方薬のように煎じて飲む。以前にソルジェニーチンの「ガン病棟」に効果があるという話が出ると買い手が殺到した。 ロシアの薬局では医薬品扱いになっているが自由に買える。日本薬局方に「げんのしょうこ」や「葛根」があるが自由に買えるのと同じだ。しかし5軒ほどの薬局を 訪ねたが在庫が少なく8箱しか買えなかった。チャーガの箱を見るとモスクワの薬品会社の名前が書いてある。

チャ-ガは寒いところでとれたものに有効成分が多いというが、 寒いシベリヤの中心地イルクーツクになぜ工場が無いのかと思ってしまう。1箱50グラム, 59.7ルーブル(150円)だ。イルクーツクではチャーガ工場は許可 にならないのだろうか。ソ連時代の計画経済の影響なのだろうか、イルクーツから東の人口は700万人と言われているので、市場が小さいから商売にならな いのだろうかなどいろいろ思いめぐらせた。ウラジオストクにもチャーガ工場は無かった。ウラジオストクでは1箱66ルーブル(165円)で、商品の価格に運送費が掛かっているので東に行くほど正直なもので高くなっている。このような状態だからウラジオストクでの生活費はモスクワの1.5倍~2倍かかると言っていた。 ウラジオストクの薬局にはたくさん在庫があり10箱を揃えることができた。

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ガイドのオリガさんと運転手とともに イルクーツク駅前にて

シベリヤ鉄道について

シベリヤ鉄道は全線を乗ると1週間かかる。距離は9,259㎞で直線にすると東京~ロンドン間に匹敵する。 航空路が無かった明治・大正・昭和時代には、ヨーロッパに行く最短のコースはシベリヤ鉄道であった。 私達が乗車した特急No.8号は、イルクーツクからウラジオストクまでの3泊4日間で約28駅に停車するが、 25分以上停車するのはウランウデやハバロフスクを含めて4駅だけだ。2人だけの一等寝台の車室で、 どうやって過ごすか大変だろうと心配していた。しかし普通に3度の食事を食べ、車窓からの景色を見ているだけで、 あっという間に時間が過ぎて行った。景色は確かに日本より変化に乏しいが、しかし線路は極東への進出のため急いで作ったので、 工期のかかるトンネルや橋は最小限にして等高線にそって建設され、曲がりくねっていて変化がある。

周りは白樺林ばかりのようでも、よく観察すると草原や家畜や村々が見え、各町で町の様子が異なり見飽きることは無かった。 シベリヤ鉄道は日本の東海道線のような大幹線で短い間隔で80両から100両の貨物列車にすれ違った。貨物列車は石油タンク車、自動車専用貨車、鉱石・石炭・材木を積んだ無蓋車その他の有蓋車などである。 短い時に10分に一回程度すれ違った。1列車あたり10,000トンを牽引するそうだ。客車は付け足しみたなもので貨物が主である。 線路には頻繁に補修や巡回点検をする作業員が見られた。新しく作られて駅舎もあり、相当な予算が投入されているのだろう。

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朝霧の中の特急No.8列車

車内の食事について

食料は、出発前にイルクーツクのスーパーでキュウリ・トマト・黒パン・マヨネーズ・食塩・ミネラルウオーターなどを購入した。 チューブ入りイルクーツク製のマヨネーズは後で大変役に立った。 さらに日本から一人当たり3個のカップラーメン・おかゆやサラミソーセージ・チーズを持参した。 また出発が早朝でホテルのレストランが開いていなかったので、朝食のお弁当を準備してくれた。

ロシアでのお弁当は何回か食べたが内容はパン・チーズ・サラミソーセージ・リンゴ・キュウリ・トマト等のほか 飲物として果物ジュースとミネラルウオーターが定番みたいである。質・量とも内容は満足である。ロシアでの夏野菜はキュウリ・トマトとピーマンがよく出た。停車する駅でパン・ブリヌイ・ピロシキ・ ゆで卵(1個10ルーブル:25円)・キュウリの塩漬け(1本20ルーブル:50円)やビール・その他の飲物などを売子やキオスクから買うことが出来る。車中でも売子が車内販売に来る。

シベリヤの犬たち

私が売子からキュウリの塩漬けとゆで卵を買って列車に戻ろうしたら中型の茶色の犬が現れ私に向ってチンチンをして挨拶した。 我家の犬の臭いがしたのだろう。他にも野良犬のようなのが数匹いて乗客がホームに降りるとき何か食物を貰おうと集まっていた。ペリメニをあげているロシア人もいた。シベリヤの冬の寒い時期をどうして過ごすのだろうかなど思いながらタラップを上がった。 もうその犬と再会することは無いと思うが、我が家の犬達を思い出し「ゆで卵」を分けてあげれば良かったと反省した。 

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シベリヤの犬

食堂車について

食堂車はあるが高い、二人で朝食としてサラダ2皿、サリャンカ(スープ)2皿、シャシリク(牛肉)250グラム、魚料理1皿、 チョコレート付き緑茶2杯、パン2枚にサービス料200ルーブルがプラスされて、合計で3,199ルーブル(8,000円)だ。一流ホテルの朝食代と同じで二度と食べる気がしなかった。ルーブルが安くなってもこれだ。 今は1ルーブル2.5円で3年前は5円だった。

3年前だと16,000円の朝食になるところだった。ロシアの金持ちはこんな金額は目じゃないのだろうが、 貧乏な日本人には大金である。途中から乗ってきた2人のチェコ人が私に向かって私たちの切符には食券があるので、 一緒に食堂車へ行きましょうと言った。私の切符にその様な機能があることを聞いていなかったので断ったが、 後でこれがホテルの宿泊代・レストランの食事代が込になっているプチョーフカと言う旅行切符だったのかなと思った。

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サリャンカ(スープ)

トイレットペーパーについて

昔はガイドブッツクにソ連の紙は新聞紙程度の硬さだから、日本からトイレットペーパーを持参するように書いてあり、 私も持参した。今度の旅では列車でもホテルでも紙は白くなっていた。しかしまだ相当に固い。 ウオシュレットと軟らかい紙に慣れている日本人には脅威である。今回も持参した紙が役にたった。 ティッシュペーパーの代わりや食事の後片付けにも使った。ウエットティッシュと共に持参することをお勧めする。

ウラジオストクにて

あと40日後に開かれるウラジオストクAPECの準備で市内は混雑していた。APEC関連工事の契約はモスクワで特定のゼネコンがすべて行い、 地元の業者を下請けに使わない。作業員もCIS・北朝鮮などの給料の安い所から連れ来る。 作業員が稼いだ金はすべて持ち帰るので地元には何の利益も無いのだと言っていた。 市内からAPEC会場のルースキー島に行く吊り橋は完成していたが一般車両は通行出来なかった。

市内の交通は一方通行が多くなり渋滞はかなり解消された。飛行場に行く道路は穴ひとつなく舗装されていて見事であった。 こんないい道路はロシアで初めて見た。そのほか新鉄道・APEC新道と国際線の新ターミナルも会議に合わせて出来るそうである。 8月は市内のすべてのホテルはAPEC専用になる。ヒルトンホテルは2か所に建設していたが開催に間に合わず儲けそこなったそうだ。 この町の土産はチョコレートだ。極東大学の近くの有名な工場の売店へ行き、色々なチョコレートを買った。 往路も復路も航空機の機種はボーイングとエアバスであった。ロシア製のツポレフやイリューシンでなくて良かった。

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APEC会場に向かう吊り橋の一部

我が家の犬たち

7月24日に家に帰ったら愛犬たちが1週間ぶりの再会を大喜びで迎えてくれた。

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我が家の犬たち
2015年7月8日